こんにちわ。ワイド社員のにっしーです。
今回は、神戸南京町とメリケンパークの間にあり、レトロな雰囲気を残しつつ服や雑貨などのユニークなお店の立ち並ぶ神戸乙仲通(こうべおつなかどおり)の歴史をご紹介します。ワイドソフトデザインからは徒歩1分の近さです!
神戸乙仲通ってどんなところ?
神戸乙仲通(以下乙仲通)とは、神戸南京町の一本南の栄町通の、さらに一本南にある長さ800mの小さな通りで、立ち並ぶ古いビル群には服屋さん、雑貨屋さん、レトロなカフェやサンドイッチ屋さん、カレー屋さん、アンティークの時計屋さん、、、挙げればきりがないくらい様々なお店が入っています。ビルのレトロな外観も相まって、趣のある通りです。
ではその古いビル群で昔の人は何をやっていたのか、気になったので調べてみました。
かつての乙仲の街並み
さかのぼること150年、明治時代のはじめに神戸港が開港し、その中心となるメリケン波止場にはたくさんの船が発着しました。その北側の小さな通りには、船の荷物を取り扱う会社が多く立ち並ぶようになりました。その通りが乙仲通です。
船の荷物は、船が運ぶ貨物のほか、船が航海するのに必要な様々な装置、船内の内装(豪華な船長室は映画などで見たことがおありかと思います)や食料など多岐にわたります。その分、それらを取り扱う会社もたくさんあり、それらが現代に残る乙仲通のビルに入っていました。
日本の文明開化や近代化を支えたのが貿易だと考えると、その一翼を担った神戸港を支えた現場であったビルが、現代でも活用されているのは、すごいことじゃないでしょうか。
メリケン波止場とは?
ちょっと横道にそれますが、「メリケン波止場」は、当時この波止場のすぐ近くに米国領事館があったことから、「アメリカン」の英語の発音から「メリケン」波止場と呼ばれるようになりました。神戸港の初期において、主要な波止場の一つでした。
その西半分を埋め立てて造られたのが現在の神戸メリケンパークです。
「乙仲」の由来
話を戻しますと、上述の船の荷物を取り扱う専門の業者は、「乙種仲立業」と呼ばれ、一般にはこれを縮めて「乙仲さん」と呼ばれていました。
「乙仲通」というのは「乙仲さん」が軒を連ねる通りのニックネームだったんですね。
海運の近代化と乙仲通
時代は下って1970年ごろになると海の荷物は徐々にコンテナ船で運ばれるようになりました。船から降ろしたコンテナはそのままトラックに積んで、当時急速に発達した道路網によって運ぶことができるために、コンテナは船荷の主流となっていきました。やがて大規模なコンテナ設備を備えたポートアイランド・六甲アイランドが港湾機能の中心となりました。
地理的メリットを失った乙仲通からは海運業者が徐々に減少していきました。さらに追い打ちをかけるように阪神淡路大震災が。残っていた業者は大阪港など、他所に移っていったのです。
乙仲通の第2の人生
時代の流れによってさびれて行くかに見えた乙仲通ですが、2000年過ぎになると若手経営者による小規模なお店が入居し始めました。古いビル群に残る港町の風情と、旧居留地や三宮よりも安いテナント料が魅力となり、雑貨屋さん、服屋さんやカフェなど多くのおしゃれなお店が集まりました。
これらのビルは狭いオフィスでも困らない乙仲業向けに建てられたため、小さな区画に分かれているのですが、これが時代を経て、小さくても自分のお店を持ちたい人々のニーズに合致したというわけです。こうして、乙仲通は第2の人生を歩み始めたことになります。
まとめ
乙仲業と、ファッション。昔と今の神戸を象徴するような道を歩む乙仲通りでは、港町の歴史が残るビルで個性的なお店の数々があなたを待っています。一度、ゆっくり歩いてみてください。
神戸乙仲通り
アクセス
JR/阪神元町駅各出口より南へ10分