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【ぶらり会社周辺情報】幕末の熱気を感じさせる神戸海軍操練所跡に行ってみた

こんにちは!ワイド社員のにっしーです。
今回は、会社の近所にある旧跡「神戸海軍操練所跡」のご紹介です。

神戸海軍操練所跡はどんなところ?

電鉄各線三宮駅の西側を通る生田ロードを、
南へ徒歩で10分下ったところに京橋という交差点があります。
この南東角のすぐ南に、この旧跡はあります。

ワイドソフトデザイン
の最寄り駅であるJR元町駅からは、
すぐ東側の鯉川筋を8分ほど南下し(途中、大丸神戸店が左手に見えます)、
「メリケン波止場前」交差点で左折して、そのまま東へ10分歩けば、前述の京橋」交差点にたどり着きます。

ワイドソフトデザインからは、すぐ東にあります
「栄町通1丁目」交差点から南へ1分で前述のメリケン波止場前」交差点ですので、

そこから東へ徒歩10分「京橋」交差点です。

船の錨を模した石碑と、その前に置かれた、本の形をした石の碑文とからなります。

日本海軍発祥の地

ここには、神戸海軍操練所という、
江戸末期に日本で初めて設置された海軍士官の養成機関がありました。
ここはその跡地ということで、日本海軍発祥の地と言われています。

「日本の夜明け」のひと幕

開設を推進したのは、幕府の軍艦奉行という、
幕府の海軍をつかさどる職に就いていた勝海舟でした。
当時、欧米諸国の脅威に備えるため、
近代的な海軍を作ることが急務となっていました。

 

結局一年足らずで、勝の更迭により閉所となるのですが、
この操練所は、志の高い生徒たち約200名
日々切磋琢磨しながら講義や実地訓練を受け、熱い議論を交わす
熱気に満ちた場となっていました。

 

また、ここは幕府系の機関であるにも拘わかかわらず、
生徒の中には倒幕派も多くいました(閉所された原因がこれでした)。
その中からは、様々な勢力間の調整役を担い、
明治維新に多大な貢献をすることになる坂本龍馬や、
維新後に欧米との不平等条約を解消するなど、
外交で活躍する陸奥宗光、
後に海軍大将となる伊東祐亨といった、
幕末~明治時代の重要な人材を多数輩出することになります。

国際都市としての出発点

当時、神戸」というのは、現在の神戸市よりももっと狭く
東はJR三ノ宮駅の高架下を通る現在のフラワーロードから、
西は元町までの浜側一帯村の呼称でしかありませんでした。

そこへ操練所が設置され、その閉所後の跡地に神戸港が開港し、
その港を取り囲むように外国人が居留地を作ったため、

神戸村は異国情緒豊かな大都市へと発展していきました。

ここは、日本海軍発祥の地であると同時に、
神戸市の出発点と言えるでしょう。

隠れたフォトスポット?

最後に、ここから5分ほど南下すればもう海辺なのですが、
そこからは、海を隔てて西に神戸メリケンパークオリエンタルホテル、
神戸ポートタワー、神戸ハーバーランドのモザイクの観覧車といった
神戸の重要スポットを一望に見渡せ、まさに神戸!な写真を撮ることができます。

神戸へお越しの際は、立ち寄ってみてはいかかでしょうか。

 

神戸海軍操練所跡
〒650-0041兵庫県神戸市中央区新港町17-1

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