まいどどうも。書評が理屈っぽくて、くどいと絶賛好評中の「すくらんぶる」です。
今回は、1973年の小松左京先生の作品。SFというジャンルが一部のマニアか子供向けかという状況から、一気に大衆の市民権を得たと言ってもいいぐらいブームになった作品である。最近、電子書籍のセールス商品で手にいれて、読み返したところである。今、読んでも決して古さを感じない。それどころか、予想が当たっているところなど、あらためて驚きがあったので、ワイドの本棚で紹介しておこうと思う。
今回紹介する本 (初版の表紙)
1973年頃は。。。
中学2年生のときに読んだ本である。確か友達が持っていた本を何人かで回し読みした覚えがある。カッパノベルスという新書で上下2巻だった。表紙からは、その壮絶な内容は全く伝わってこない。昔はこんなものだったのかな。ほぼ時を同じくして、田中角栄の「日本列島改造論」という本もあった。こちらは小説ではなく政策の話だが、日本を改造とか、沈没したりとか、「日本」が一つのスケール感を持っていた時代かもしれない。振り返ると、1970年の大阪万博が大成功に終わり、経済はインフレが絶頂で物価はどんどん上がっていく、オイルショックとかで、ノートやトイレットペーパーが、一時的だが手に入らなくなったりと、社会不安も色々とあった時代。きっとそういうことを反映してか、改造論とか沈没とか、当時の世の中には響いたのではないだろうかと考える。中学2年生の反抗期絶頂の私は、そういう世間のことなど関係なく、1万メートルも潜れる潜水艇とか、深海で起こっているマントル対流の動きとかに、ワクワクしながら読んだものである。ちなみに 2006年に現代向けにリメイクされた映画は、少し内容が違うらしいが、それは確認していないのであしからず。
全くの絵空ごとではないところに面白さが
この本が書かれた当時には無かったが、のちに予想どおりに出てきたものとしては、新東京国際空港(これは成田空港と考えていいだろう)や青函トンネルがある。これらは、検討委員会や着想の構想ぐらいはあったのだろう。面白いのは、関西国際空港というのが神戸にあるところ。神戸空港が関西国際空港なのだ。惜しいね。神戸空港が関西国際空港だったら、神戸もずいぶんと違っていたかもしれない。これらは、どちらも想像だろう。また、高性能な大型コンピュータも登場してくるが、これは今ではスーパーコンピュータのことになるのだろう。当時はスーパーコンピュータというキーワードは無かったと思う。SFと言っても、タイムマシンみたいな完全に空想・妄想の世界ではなく、ちょっと手を伸ばせば届く未来を予見していたところにも、この本の面白さがある。
描きたかったテーマは、やはり「人間社会」だったのか
最近になって電子書籍で読んであらためて驚いたことは、大災害直後の被災現場の人間模様とか群衆心理とかが、阪神淡路大震災で実際に経験したことと全く同じことが描かれていたことだ。中学生の頃に読んだときは、そのあたりはほとんどスルーだったのだろう。あまり記憶に残っていない。しかし、あの未曾有の災害を経験した自分にとっては、この描写に新鮮な驚きを感じた。あちこちで暴動や倒壊した店舗からの略奪行為とかが想像されるかと思いきや、被災した人どうしは、冷静に秩序を守って被災生活を送っている様子が描かれている。阪神・淡路大震災でも、避難所で秩序ある共同生活を営んでいる日本人の姿が、海外メディアから高く評価されていたことは記憶に新しい。また、面白半分に写真を取りに来た若者が、袋だたきに合ったようなことが描かれているが、これもまた似たようなことがあったように覚えている。
ストーリーは既に知っているのだが、昔、読んだときには何とも思わなかった部分が、今、読み返したときに妙に感心したり納得するところが多い。先述の大方の予想が当たっている部分だけでなく、被災現場を実際に見たかのような描写は特にそう感じた。小松左京先生は、大災害とそれに向き合う人間社会を描きたかったのだということをあらためて感じさせられる。
日本列島が四国から沈没していくありさまは、ぞっとするものがあった。架空の話とは言え、これだけの綿密な調査や、それなりのリアルな技術的裏付けがあると、中学生だった私は、ひょっとしたらと考えたものである。そこがSFの面白いところだ。小松左京先生のようなスケールの人は、今後もそうは出てこないだろう。もし、詳しい内容を知らない人は、一度、読んでみることを薦める。
物理的に日本列島が完全に沈んでしまうなんてあり得ないのかもしれないが、仮に、このような事態が起こったとしよう。そのときに、この本に書かれてあるような「D計画」(日本国民総脱出計画)が実行され、日本人は難民のように諸外国に散るのか。そして、その時には、国際社会が一致協力して日本を救済してくれるのか。それとも、この本に書かれてあることと同じ問題を抱えることになるのか。そこにも、小松左京先生が描こうとしていたテーマが隠れているように思えてならない。最近の国際社会の情勢とダブってしまい、妙にハマってしまった。